社会福祉法人 菊愛会

菊愛会のいままでとこれから

社会福祉法人 菊愛会の理事長・最上太一郎が語る
菊愛会のいままでとこれからの想い

01菊愛会設立のキッカケを教えてください

弟が知的障がいを有することになったため、
両親が弟を施設に置いて帰ってくるときの苦悩は今でも忘れられません。

最大の理由は、年の離れた弟が知的障がいを有していたこと。子どもの頃は、常に世話を必要としている弟を鬱陶しく感じてしまうこともあったんですよ。小学校の特別学級に行っていたときは、いつも苛められていたのを覚えています。
当時、菊池には支援施設が存在しなかったので、県北の障がい者は福岡県の施設に行くしかなかったんですが、県内初の児童入所施設『肥後学園』ができ、弟はそこで暮らすことになりました。両親が弟を施設に置いて帰ってくるときの苦悩は今でも忘れられません。

障がい者の兄として、ずっと親の姿、特に母親の気持ちを見つめながら生きてきました。そして、私が27歳のときに、父が障がい者福祉の仕事を始めることになりました。私は家業のガソリンスタンドや林業に従事していたので、福祉のことは完全に素人。でも、資格を取得しながら何とか施設の運営を始めました。弟は、今でもたくさんのことを教えてくれるんですよ。仕事上でも、人生においても私の先生ですね。

02設立当時から今に至るまで、もっとも苦労されたことは?

素人ですから、右も左も分からなくて(笑)
寝る間を惜しんで猛勉強しました

設立してすぐ、事務長として経営の最前線を仕切る必要がありました。もちろん素人ですから、右も左も分からなくて(笑) しかし、雇用している職員に迷惑はかけられないでしょう? 寝る間を惜しんで猛勉強しました。
私たちは、今でも職員の幸せをとても大切にしています。職員が幸せでなければ、利用者さんも幸せになれないと考えているからです。職員と利用者さんが互いに笑顔でいられること。それは、設立時から一貫して掲げているモットーですね。

実は、障がい者福祉は未だに法律・制度ともに大きく変化していく途上です。障がいを持つ一人ひとりが人権を持った人間として認められたのは、ごく最近のことなんですよ。特に、平成15年に国の制度が大きく変わってから、障がい者福祉は大きな変革を遂げ、多種多様な福祉サービスが生まれました。当法人でも、設立当時は『障がい者サポートホームわらび』のみを運営していましたが、今では20以上の事業所があります。

03それだけ多岐に亘る事業を展開してる理由は?

人間が生まれてから最期を迎えるまで、
ライフステージすべてに寄り添っていきたい

当法人では、人間が生まれてから最期を迎えるまで、ライフステージすべてに寄り添っていきたいと考えています。利用者さんとご家族を見守っていると、自然と「こんな施設やサービスがあったら役に立つんじゃないか」とイメージが固まってくるんですね。例えば、障がいを有するお子さんの放課後等デイサービスは、全国に先駆けて運営を開始しました。きっかけは駅のホームで疲れきった母子を目にしたことだったんです。初年度は赤字でしたが、行政に必要性を訴えかけ、熊本県のモデル事業として認定してもらうことができました。

障がいを有するお子さんのお母さんたちの「私たちに必要な支援を初めてやってくれた」という声は、本当に励みになりましたね。制度や法律が整うのを待っていては、今まさに必要とされている支援を行うことができません。自分たちがやりたい、やるべきと思うことをスピーディーにやっていけば、制度が追いついてくる。それくらいの気概で前に進んでいきたいと考えています。

04これからの菊愛会について、構想を教えてください。

気持ちよく働ける環境整備こそが、経営者としての最大の仕事

これからを創っていくのは、私ではなく若い職員だと思っているんです。当法人は1981年に設立し、今では240名近くの職員がいるのですが、彼らには“将来構想委員会”など、法人の中枢を担う6つの委員会に所属してもらっています。若手~中堅の職員を中心として、法人理念や将来のビジョン、人財確保などの仕組みをボトムアップで創り上げているんです。“感・共・和”という法人理念も、全職員対象の公募をもとに職員が考えたものなんですよ。職員には「やりたいこと、やるべきことを存分に、自由にやってください。自分が好きだと思えることを一生懸命に勉強してください」と常々伝えていますし、資格取得や研修、手当といったサポートも全面的に行っています。職員用の託児所の設置や、労働時間の見直しなど、気持ちよく働ける環境整備こそが、経営者としての最大の仕事だと思っています。

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